『躁鬱大学』坂口恭平著|日課の重要性に気づいた一冊

本を手にした背景

元々坂口恭平さんの存在は、別の著書で知っていました。『独立国家のつくりかた』『思考都市』はこのサイトでも紹介しています。

最近では、坂口さんのTwitter(@zhtsss)をフォローした事で、その活動のはちゃめちゃな多彩さに気づくことになりました。代表的なのは、「いのっちの電話」。自らの携帯電話番号を公開し、自殺を考えている人の話を聞くという活動です。また、私も展覧会に行ったのですが、毎日とんでもないスピードで描かれるパステル画の画力は凄まじいものがあります。そのほかも歌手としての側面や、文筆家、農業などあげればキリがない状況です。

この本を手にしたのは、そんな坂口さんの原動力の根源が知りたいというのが理由です。そしてもう1つ。私自身ここ数年気持ちの浮き沈みが大きいなと感じる事が多く、モヤモヤしている時期が続いていました。正直に言うと、「躁鬱病」の軽い版かな?と自分で思ったりしたこともありました。他にも、子育てや仕事が忙しく自分の時間が持てなくなってしまったからでは?と自己分析したりするものの、いまいちピンときていません。子育てや仕事が楽しくないわけではなく、むしろ日々新しい発見や成長を実感できることに喜びも感じています。

時間が無いというのは言い訳だし、大人なのだから自分をコントロールできて当たり前だろ。という声をかけたくなる自分もいますが、そこを乗り越えられていない理由がなんなのか気になります。

長らく忘れていた「日課」と言う存在

結論として、この文は早朝に描いているのですが、この本を通して一つの指針ができました。それは1日1日、自分が少しでもやりたいと思った事や好きな事を、続けられるやり方で続けながら、その中から次のやりたい事に気づける時間を持つと言う事です。やりたい気持ちや好きな事を、深く考えずにすぐに行動に移す事がポイントです。

そしてそれを実行したい事を家族や周囲の人に伝える事。次に時間の確保。心置きなく取り組める環境の整備が重要でした。私の場合、それは早朝です。早起きは得意ですし、家族や仕事を削ってまでと言う考え方は、逆に自分のストレスになってしまうため。そういった自分の気持ちも尊重しつつ、毎朝5時に起きて子供の保育園登園が始まる7時まで、自分の好きな事の時間に充てる。これを日課にしてから少しずつ何かが変わる体感を得ています。

坂口さんも著書の中で言っていたと思うのですが、好きなことや、やりたい事のハードルを上げすぎずに、まずは何かに取り組む事で、気付いたり少しずつ先が開けたり、1歩ずつ前に進んでいると言う体感を得る事が大事です。その体感を持って、いかに満足して1日を終えられるか。この満足感を得る事が、モヤモヤの解消にだいぶ効いている気がします。

いわば、この一連のルーチンは「日課」とだと思うのですが。このような考えで日課を採用したのは、著書の中で紹介された以下のような記載に、なるほどなと思えたためです。うろ覚えですが、確かこんな感じだったと思います。

・学生時代から気持ちの浮き沈みはあったが、なんとか乗り越えてこられていた(※)
・それは登校や授業、下校時間、友達と遊ぶ時間や、家で過ごす時間サイクルが決まっていたからでは?
・自分について深く考える時間がなかったからこそ、鬱な気持ちが入り込む余地が少ないのでは

※ 前提として坂口さんは躁鬱人(著書では躁鬱病を持つ人を躁鬱人と呼ぶ)である事を公表されていて、鬱になると全てに対する意欲がなくなり、塞ぎ込んでしまうとのこと。学生時代に鬱が激しい状態にならなかったのはなぜか?と言う問いに対する答えです。

子供の頃は、1日のあらゆることに対する時間割のようなものが決まっていて、それが次々とやってくるため、その対象について考える時間が大半で、モヤモヤと自分とは?みたいに考えてしまう余地がないと言うのは、すごく納得できる話でした。私も、学校で遊んだ後は、必ず近くの公園や田んぼで遊びながら下校し、この曜日はその後塾へ行き、それ以外の日は誰々の家に遊びに行き、6時頃になったら家へ帰る。晩ご飯を食べ、テレビを見て、少し宿題をこなした後に、ゲームなどをして寝る。自由に過ごしているようで、実は子供の頃は時間割通りにただひたすら取り組んでいる状態だと言うことに気づかされました。これはある種、日課だと言えます。

今はというと、時間が無いと言いつつも、子供の頃に比べ、自分で決められる裁量が大きいのは確かです。「会社に行く」を一旦固定で考えると、実は自分の意思で自由にできる時間は寝ている時間を除き8時間〜9時間はあることになります。この時間の隙間隙間で、ふと自分についてや、将来の事の不安を思う時に、モヤモヤっとした気分が押し寄せて沈んだ気持ちになる。その要因は、その時間の使い方を自分で決めていないことと、好きや自分がやりたいと言った気持ちに従い行動できていない事だと整理できました。四六時中何かをやると言うのではなく、この時間は何も考えずに、休憩する時間。この時間は、仕事のことだけを考える。この時間は子供との時間。この時間で好きな事をやろう。と言った感じです。定義されていない時間を極力なくし、気持ちが内向きになる余地を削るのです。

まずはこんな日課にチャレンジ

善は急げ!という事で、私なりに1日の時間をこのように定義してみました。無理なく続けられるか?というのがポイントなのと、気持ちが悪ければ変える柔軟性を持つのが重要です。楽しくなくなってしまうので。

・朝5時起床〜7時までブログの執筆、イラレいじりなど(好きな事をやる)
・7時〜8時、子供の登園準備
・9時〜10時、ランニング、もしくは早朝の続き
・10時〜18時30分、仕事に集中
・18時半〜19時、子供のお迎えと散歩
・19時〜21時、夕食等子供との時間、仕事の続き
・22時 就寝


とまあこんな感じでスタートしてみて、早くも三週間目という感じです。今のところ無理なく楽しくやれています。一番良いなと思う点は、朝イチで自分がやりたい事がやれているという点です。満足感で1日をスタートできると、その日寝る前の充実度が違います。特に目的やゴール等深く考えず、しばらくは楽しくできているか?を尺度にこの生活を続けてみようと思います。嫌になったら、やり方や取り組む事をすぐ変える柔軟性を忘れずに。

もしこの文章を読んで、『躁鬱大学』が気になった方はぜひ手に取ってみてください!そして私のように、得体のしれないモヤモヤと付き合っている方には特におすすめです。この記事は私の解釈も多分に含まれているため、原文を読んでいただいた方がスッとくるはずです。

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