About my story

【現在】

「まだまだこれから」

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改装可能な賃貸物件を探し、セルフリノベーションをして住んでいます。

その体験をきっかけに、賃貸でも自由な住空間を実現できる事を発見。

日本の従来の窮屈な賃貸を帰るべく情報発信やアイデアを模索中。

本業では広告代理店で、FacebookADのコンサルティングをやってます。

その他にもサイトの製作ディレクション、

SEOコンサルティング、運用、キャンペーンの事務局などなど、

マルチにやってきました。

最近、自分のこれからについてよく考えます。

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【大学時代】

「迷走した4年間」

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浪人生活という、暗黒時代を経ての、大学生活なので、

さぞかしブレイクするかと思いきや、そうは問屋が卸しませんでした。

私は大学生活で自分が打ち込める対象を見つけられなかったのです。

そもそも、大学に入ったモチベーションも「いい大学に入りたい」という、

極めて中身の無い物でした。

いざ入学してみると、何をしていいか分からず不安は募るばかり。

そして焦っていました。こんなはずじゃないと。

やるべき事を見つけるために、とにかくいろいろな事に手を出しました。

体育会の新聞部、美術サークル、子供音楽コンクールの運営スタッフ、

自分で絵を描いて展覧会に参加、NPO団体のインターン、ホテルのアルバイト。

どれも、自分には合っていないような気がして、

やればやるほど、不安な気持ちになっていきました。

今思うのは、当時の自分は、何をしている時にやりがいを感じるか、ではなく

打ち込める事を見つける事が目的になってしまっていたのです。

こんな調子でしたので、就職活動も相当苦労しました。

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【浪人時代=暗黒時代2】

「修行僧のような1年間」

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高校時代、勉強をしなさすぎた結果、

現役で受けた大学にはすべて落ちました。

私の学力はかなり、深刻な状態でした。

さらに追い打ちをかけるように、2年付き合っていた彼女に

「価値観が違う」という理由でフられ、浪人のスタートは、

学力、精神力ともにどん底の状態での船出を余儀なくされたのです。

彼女の件は、かなり引きずりましたが,

次第に、「いい大学に入って見返す」というモチベーションに変わり、

ここでも、持ち前の「没入」を発揮する事が出来ました。

(かっこ良く書いていますが、そう思い込むしかなかったんです!)

代々木ゼミナールのスローガンである

「日々是決戦」を自分のテーマに置き換え、

禁欲を誓った修行僧のごとく、受験の修羅として1年間走りきりました。

結果、第一、第二志望には落ちましたが、

第三志望の立教大学に合格する事ができ、生まれて初めての、

親子そろって号泣で浪人生活を締めくくる事が出来ました。

得た物は沢山ありますが、

あんな日々は、もう二度と経験したくない、というのが本音です。

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【高校時代】

「我、高校生活に一遍の悔いなし」

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中学生活での抑圧されていた部分が爆発したのでしょうか…。

とにかく、勉強以外のすべての活動において120%やりきったと

自信を持っていえる、そんな高校生活でした。

部活動では、都立No1の高校をめざし、朝、昼、晩、

テニスボールを追いかける日々。

学校行事では、文化祭に燃え、その間にちゃっかり彼女も出来ました。

書きながら気づいたのですが、自分は、自分で決めた事は

没入していける人間だと言う事です。

中学時代の時はそれが勉強で、高校だと

勉強以外全部だったのだと思います。

この事からも分かるように、短所としては、

それ以外の事と、両立が出来ないという所です。

このような感じで、3年間を過ごし、最高の高校生活を送る事が出来ました。

後に、勉強をさぼった事が大きなつけとなるのですが…。

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【中学時代=暗黒時代1】

「勉強に逃げ込んだ、いくじなし」

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私が通った中学は、地域でも有名なワルが集まる中学校でした。

中学校の戦闘力は、地域の中学では群を抜いていたと思います。

そんな環境で私は、目を付けられまいと、自分を押し殺す場面が多々ありました。

当時、テニス部の部長をやっていたのですが、

後輩にも、不良グループのメンバーが何人かおり、

うまくまとめられずに、自ら部長を降りるという挫折を経験しました。

それで、没頭したのが勉強です。

この環境から抜け出したい一心で、ひたすら勉強しました。

その結果、目標の学校に進学できました。

最近までは、自分が勉強に没頭したのは正しい選択だと

成功体験のように考えていました。しかし、

あの時の決断は「逃げだったんじゃないか?」今では思っています。

あの時、逃げずにぶつかっていれば、

彼らとも分かり合えたかもしれないし、何かかわっていたはずです。

よって、中学時代の私には、「チキン野郎」のレッテルを貼る事にしています。

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【小学校時代】

「転校に悩まされ、育てられた6年間」

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僕の父親は転勤族で、僕は転校を2回経験しました。

小学校は全部で3校、修学旅行は2回行きました。

その中でも一番長い時間を過ごしたのが、

徳島県の池田町という小さな山間の町です。

四方を山に囲まれ、そばには吉野川が流れる大自然の町です。

友達と朝から晩まで田んぼでオタマジャクシを捕まえたり、

時には鮭のように川を遡上し、いつの間にか

湖にたどり着いてたなんて事もありました。

だいぶやんちゃもしました。

そんなキラキラした日々にピリオドを打ったのも

やはり転校でした。

自分の力ではどうにもならないこの状況を心底恨みました。

親に対しても、なんで俺ばっかりと嫌悪感を抱いたりもしました。

でも、今だから思う事としては、

いろいろな世界を見せてくれた事に感謝しています。

転校する日のあの光景は忘れません。

僕らが乗った電車をずっと走って追いかけてくれた

友達みんな…、今でもはっきり覚えている人生の宝物の1つです。

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とまあ、私はこんな人間でございますw

このサイトを自分の考えを書く場にしたのであれば、

やはり少しでも自分の偽りの部分は無くすべきだと思いました。

それでも、上記の自分の生い立ちの文章には

まだちょっと自分を良く見せようという感があると思います。

これから自分の考えや気持ちにどんどん整理をつけて

更新を続けていきたいと思います。

読んでいただいた皆様、ありがとうございました!

これからもよろしくお願いいたします!

(2013年5月26日更新)

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